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別に謝らなくてもよかったのに。
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企業の立場を考慮した謝罪か。
最近、こんなのが多くて本当にイヤになる。
つまらんことに過剰反応して、周りが大げさに騒ぐ。
マスコミも扇動し、問題視する。
で、言った本人が、謝罪する、、と。
で、1人を血祭りにあげて、「いい事しちゃった感」に大衆は浸る、と。
なんか、こう、暗くないか?
はっきりいって、世の中の、中国大陸にいる「中国人以外」は、全員、
シャロン・ストーンと同じ事を、一瞬考えたはずだ。
私も、頭をよぎった。「報い」なんじゃないの、と。
それにしても、もう、公の場では、(ネームバリューある人は)
何にも言えなくなっちゃうな。
つまらないじゃないか、そんな「言論統制」は。
毒のある発言だって許容しようじゃないか。
だって、心にもないことや、本音じゃないことを聞いてたってくだらないよ。
慈善・博愛・友愛、みたいな気持ち悪い発言ばかり、聞きたいのかい?
もちろん、特定人を誹謗(ひぼう)することは、ダメだ。
○○さんは不細工だから、気持ち悪い、、の類。
これはやってはならない。
今回の、ストーンの発言は、一般性がある。
特定の中国人が死んだことに「ざまあみろ」と言っている訳ではない。
「地震は報いだ」と言ったって、死んだ人々に対して哀悼の意を持っていれば、
全然構わない、と思う。
まさか、死人に対して「報いだ」といった訳ではあるまい。
以上から、ストーン発言は謝罪する必要のあるものだ、という域までは達していなかった、
と考える。
とにかく、発言に対する過剰反応は、言論の萎縮効を生じさせる。
言論が萎縮した世の中は、戦時中の言論統制時のように自由な雰囲気がなくなる。
ギスギスした世の中になってしまうだろう。
それってとてもイヤじゃないかな。
更に言うと、他人を誹謗するような発言を繰り返す人は、次第に淘汰されていくものだ。
(若干、時間はかかるが)
いわば、「神の見えざる手」によって、次第に排除されるものだ。
そういう自然淘汰に任せるだけでいいのではないか、と思いますよ。
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