------------------------------
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
------------------------------
宮沢賢治作の童話、オツベルと象。
この物語の最後の一文が「謎」とされています。
まあ、この童話自体がなんと言うか、なぞに包まれていますね。
全文はこちら。
↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/466.html
私が子供の時、教科書にこれが載っていて、
最後の「川へ入っちゃいけないったら」というのは、誰が誰に言ったのか?
家に帰って考えてきなさい、という宿題が出ました。
当時、率直に言って、この童話は大したことない・くだらん童話だ、と思ってました。
ですから、家に帰ってからも真面目に考えず、
翌日の先生の答えも、真面目に聞いてませんでした。
ですから当時、先生が何と答えたのか覚えてません(笑)
しかし今日、大学図書館でふと宮沢賢治のコーナーを何となしに見たら。
この童話の研究本がわんさか出てるのに気付き、びっくりしました。
特に、最後の一文に関する研究をテーマとする書籍の多いこと。
大のおとなが延々と何十年もかけて研究するテーマなんでしょうかね?
私はそもそも、宮沢賢治という人の童話はあまり好きではありません。
なぜなら、話が抽象的なものが多くて煙に巻かれたような気分になるからです。
名作といわれる「銀河鉄道の夜」に至っては、さっぱり理解できません。
「グスコードブリの伝説」は、唯一、テーマに共感でき、分かり易いから好きですが。
※下記コメント欄に訂正あり
世間の人たちは、難解で、深みのある言い回し、とっぴな発想などに酔っているだけ
なのではないか、とさえ思ってしまうわけです。
「こういう解釈も出来る」
「いやいや賢治の思想からするとここは○○と読むべきだよ」、、などと。
もっと簡単にリラックスして読めばいいのではないでしょうか。
そういう観点から、「オツベルと象」の最後の一文を解釈しますと。
まず、この物語は「牛飼いが誰かにお話しをしている」という形式になっています。
それは冒頭の一文からわかる。
つまり、誰か聞き手がいる、ということになっているわけです。
とすると、最後の一文は冒頭に対応しての、締めになっている、と考えるのが素直です。
そうしますと、最後の発言は「聞き手に対して言っている」、とわかる。
以上から、次のような情景をイメージできます。
…ある片田舎。
ひとりの大人(牛飼い)が、子供達にお話をしてあげている。
しかし、話が長くなってきて落ち着きのない「一部の子供達」が話に飽きてしまった。
その子達が、お話をシカトして川遊びを興じ始めた。
で、最後の言葉が発せられた。
【まとめ】
最後の言葉は、
・語り部たる「牛飼い」が、
・話に飽きた「子供達に」言った言葉である。
.