大阪・淀川殺人の被害者いとこ、法廷で被告少年ける

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「法廷侮辱罪」を導入すべきだ。

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最近、裁判所を舐めてるんじゃないか?というニュースがつづく。



プリンスホテルが裁判所の仮処分を「完全無視」したのは記憶に新しい。

(わたしはこの「無視事件」以来、プリンスホテルは決して使わないことを誓った。

なぜなら、裁判所の言うことを聞かないホテルなんか恐ろしくて泊まれないからだ)



今回の法廷での暴挙もまた、裁判所を舐めてるとしか言いようがない。


被害者の気持ちは痛いほど分かる。

私が被害者親族なら日本刀で犯人を突き刺しているだろう。


しかし、私は裁判所の法廷をいわば「神聖なもの」として尊重する気持ちもある。



宗教を心から信じている国では、教会などの、厳粛な気分になれる施設がある。

日本ではどうか?

日常生活に密着した宗教を持たない日本では、神聖な・敬虔な・厳粛な、

そんな気分になる場所がない。

人間はそういった日常生活から一歩離脱した聖域が必要なのである。


そうでないと、自分の調子のいいことばっかり言って、反省しない

「スチャラカ人間」ばっかりになってしまう。

いわば、突っ走りを抑制する文鎮(ぶんちん)のような施設が、健全な社会を

維持・運営していくには必須なのである。



で、

日本で唯一残されたサンクチュアリ(聖域)は、裁判所であり、

そして「法廷」だったのではなかろうか。



マスコミのお馬鹿さん達は、それをあまり重視しないような報道に終始するから、

庶民は裁判所を軽視するようになってしまい、この最後の聖域すら我が国から

剥奪(はくだつ)されようとしている。


これは、日本において由々しき問題だ。

繰り返すが、根源的に由々しき問題なのである。



これから刑事事件において、裁判員制度が始まる。

そうすると庶民が法廷になだれ込み、法廷はお茶の間の続きのような場所に

なってしまう可能性がある。

米国人などと異なり、裁判所を畏敬する気風が、日本人において

「そもそも無い」からだ。



かように諸外国と日本とにおいて、裁判所の存在意義・役割が異なっているから

私は、この制度を導入するのは反対なのだ。

訓練された職業裁判官のみが「司祭」よろしく活動するのが我が国には相応しい、

と考えるからだ。



しかし、裁判員制度導入が決定した以上しょうがない。

ならばどうにかして、裁判所の「聖域」感を残す方策を考えねばならない。


それが、「法廷侮辱罪」の導入なのだ。



法廷の更なる聖域化を私は望む。




---【まとめ】---


今回の被告を蹴った事件。

通常の「暴行罪」という軽微な刑で処理されるようだが、それじゃ甘い、と思う。


とはいえ、「法廷侮辱罪」なるものが無いため、それ以上は望むべくもない。



だからせめて皆さんには「こりゃしょうがない」とか、

「理解できる」という論調にはならないで欲しいのです。

また、そういう論調に乗っからないで頂きたいのです。


法廷がそんなことを許す場になってしまったら、

そこは無法地帯と変わりないのです。


取り返しのつかないことになってしまいますよ。









参照記事

http://ukmedia.exblog.jp/6569128/

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080304-00000058-yom-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080304-00000969-san-soci