◆ 前編はコチラ。
私は、大学で仕事をしている。
で、仕事柄「留学生と話をする機会」が多い。
彼らは日本語がたどたどしい。
だから会話上、日本語に窮すると、彼らは突然母国語に切り替わることがある。
例えば、中国人留学生はこんな感じになる。
「あのぉ、だから、わたしぃ、そのぉぅ、、、
はっきりいって、中国語に突然切り替わるとドキッとする。
チョンピ ンチュ ワン ア?」 |
はっきりいって、中国語に突然切り替わるとドキッとする。
しかも、早口である。
大学内は、外国人留学生が結構いる。
異国の言語を喋る方々は、道端でも、学食内でもやたら目立つ。
中国語に限らない。
韓国の留学生が韓国語で、
米国や、UAEの留学生が、英語で話しているときでも、状況は変わらない。
とくにデカイ声を彼らは発しているわけではない。
すなわち、異国の言語はパワーがあるのだ。
これは、大学内のことだけではない。
英会話の番組や、
海外のドラマなどを見ていると、
(海外のニュースでさえも)
みなさんとにかくやたらテンションが高いのだ。
これは言語にパワーがあるからだ。間違いない。
これにくらべると、日本語は、
とても『おっとり』している。。
異国の言語は、
中国語・韓国語系の「チャ」「チュ」「チョ」などの撥ねる音を多用する、
イタリア語系の「ペペロンティーノ」「ディモーゥルト」などの力が要るもの、
フランス語系の「ヌーヴェ ロヲ」などちょっと表記できない肺活量を要するもの、など、
とにかく、エネルギーに溢れている。
そう、相手とのコミュニケーションをとるツールとしての言語。
異国の言語でこれを用いるには「パワーを発揮しないとならない」ということだ。
しかも、「リズムがある」。
もう笑っちゃう位、リズム感がある。
これは、強弱を付けて話さねばならないからこうなってしまうわけだ。
これもまた言葉の「パワフル感」につながる。
後編につづく。
しかし、ダヴィンチ・コード。
TVで見たんですが(5/16)
くだらなかったです。。
アノ程度の筋書きを映像化するなんてお金が勿体無い、と思いました。